【起】前文
寝坊した。
昨日頑張りすぎたからだろうか、
完全に寝坊した。
普段行っている、モーニングメソッドを短縮版でも全くできない時間だった。
以前だったら、『焦り』と『いらだち』を持っていた。
しかし、今日はそのような『感情』はなかった。
ただ、今できる最善のことを考えて実施する。
その結果、電車に間に合って通勤できた。
依然と今日とではなにが違ったのだろうか?
3つ思い浮かんだ。
【承】『焦り』と『いらだち』がなかった理由
禅的思考
1つ目は禅的思考を知ったこと。
禅では『今』に集中することを大切にする。
『今』最善を尽くした『結果』ダメだったとしても、
受け入れる気持ちがあった。
※単純に上司に連絡するだけだし(笑)
アドラー心理学
2つ目はアドラー心理学。
アドラー心理学では、感情は目的のための手段である。
『焦り』や『いらだち』は周りに、つまりは妻に【心配してもらう】、
あわよくば【助けてもらう】という目的のために使う『手段』である。
正直、通勤時はそこまで頭が回っていなかったが、
深層心理の部分でこのような考えがあった(のかもしれない)。
意味付け
3つ目は事象と意味。
今読んでいる本の中で
『事象』そのものに『意味』はない。
人間が勝手に意味付けしているだけ。
という文章があった。
最近梅雨にはいりましたね。
雨が降っていると気が滅入りますね。
『雨』という事象に意味はありません。
しかし人間は『雨』に対して
- 服が濡れる→不快
- 洗濯できない→不便
- 身体が冷える→風邪をひく→危険
のように過去の経験などから意味付けを行います。
『無意識の経験則』とでも言いましょうか。
経験則自体は悪いものではありません。
しかし、無意識のうちに埋め込まれた経験則は注意が必要です。
無意識のうちに
- あの人は苦手
- この教科はダメ
- こんな気分じゃ出来っこない
やらない理由になってしまうから。
何度も言いますが『事象』に意味はありません。
『事象』に意味付けをして、『感情』をもって『目的』を達成する。
無意識化で行われるこのプロセスにどれだけ振り回されればよいのでしょうか?
【転】ひるがえって
感情豊かな人間
ここまで『感情』に振り回されるな、的なことを書いてきました。
しかし、自分は『感情豊かな』人間でありたいです。
付け加えるならば、【生涯】『感情豊かな』人間でありたいです。
ネガティブな感情ややらない理由付けのための無意味な『感情』に振り回されるのは
遠慮しておきます。
しかし、美しい芸術に出会ったり、感動的な作品に触れたり、
人とのつながりの中で感動したり・・・
心の揺れ幅は大きい方が人生楽しいと思うのです。
アレテー
哲学の中に『アレテー』という言葉があります。
物の優位性や善さ
魂をよりよいものにすること
よく生きること引用:「ここは今から倫理です。」1巻(著:雨瀬シオリ氏)
「よく生きること」とは、無感情で平坦に生きることではないです。
自分と向き合い、時に全力で、時に休みながら、変化に流されながらも、軸は流されない。
そんな生き方が「よく生きること」かなと。
【結】まとめ
朝、寝坊したという事象から、感情についてと人生観についてつらつらと書いてきた。
半年後には全然違うこと言ってるかもしれない。
でもそれでいい。
とりあえず、最近の自分トレンドの「哲学」と「禅」が浸透してきてるなーと。
あと、どっちにしても寝坊しないに越したことはないけどね!!
明日(今日になってしまった)は在宅勤務。
寝坊してもよいが、「よく生きる」ため、というか、自分がやりたいから、
早起きして充実した朝を過ごそう。
日々是雑々