がんばらないけどあきらめない

挑戦して失敗して、成長することを目指すブログです。

20231114・15

Morning Method

Affiamation

不安に思うほど、君は事象や相手に詳しいのだろうか?

Visualization

良い人生とは
今この瞬間を楽しむ
多様な世界観に触れる
自分の人生の船長である
共同体の中で自分のポジションを見いだす

Reading

稲盛和夫一日一言

撤退の決断をする
今の限り戦うことが前提だ。
しかし、全てが思い通りになるわけではない
稲盛和夫

ストア派哲学入門

結果は自分で選ぶ
他者に対する意見は君が後から付け加えたものだ
エピクテトス

366日の西洋美術

ダンテ・ケイブリエル・ロセッティ
ベアータ・ベアトリックス

哲学者の言葉366

一羽のつばめが春をもたらすのではない
アリストテレス
努力はすぐに結果には出ないが
継続こそ成果に続く道

幸せに気づく世界のことば

ギーギル
フィリピン・タガログ語
抑えがたい感情
可愛らしい赤ん坊をつねりスクたくてたまらないという時にしばしば使われる

Output

youtube.com

note.com

www.instagram.com

Input

 

 

1時間ぐらいだったので、1回の通勤中にほぼほぼ聞き終わった。
細かにお坊さんとかの作務の具体的な内容とかその背景というかを学べた。
修行において目的を意識するのではなく。
目的すらもその意識から遠ざけるのが修行だと感じた。
ちょっと難しい、メタ的というか、一次元上の話を聞かせてもらった感じ。
ナレーションも聞き取りやすい。
取り入れたいこと。
一個一個丁寧にすることが重要。
食事中のいただきます/ごちそうさまの時にどういう気持ちになるか、
その食べ物に、食べ物を作ってくれた方々に感謝する。
その食べ物を食べるのは、修行をするための行動である。
5つぐらいのやつが非常に感銘を受けた。
自分自身に取り入れる+この考え方をできれば娘にも伝えたい。
というか聞かれたら言ってみたいな。
「なんでこう手を合わせなきゃいけないの?」のような時に伝えたい。
食べ物の命に感謝すること。
それに関わってくれた生産者とか物流とかいろんな人たちに感謝すること。
それを自分の肉体に入れるのは自分が健康でいて、それで成長していくため。
みたいなことを教え入れるようになればいいなと感じた次第です。

気配り
いただきますの五か条
座禅での思考

HSP自体を正しく理解してなかったことに気づかされた。
功罪と言いながらも、基本的には罪の部分にフォーカスが当てられた一冊。
興味深かったのは、ラベル付けをすることの良い点と悪い点。
HSPを代表例として説明された。
何かの言葉でラベル付けすることが、本人の心の安らぎにつながる場合もある。
しかしラベルによって決めつけをしてしまって本当の姿を見失う、
相手とちゃんと向き合わない可能性もあるというの危惧すべき内容だった。
なんとなく思うこと
専門的な用語を使うことによって権威性を示して聴衆を引き付ける。
「この人が言っているのは専門的なことだから正しいんだ」」というような思考プロセスを導く。
そのようなコンテンツが氾濫している気がする。
というのも文章術の本だったり、動画配信、音声配信とかの本の中でも
「専門的な言葉を使うことによって聴衆を引き込みましょう。」
というようなことはよく書かれている。
コンテンツの作成者からすると非常に手間のかかることである。
引用元を調べて、読み込んで、引用する。
それだったら表面だけをなぞった他の記事を読んで、
それを引用として使う方が楽ではある。
そういった孫、ひ孫のようなコンテンツの反乱によって、
専門用語が正しく伝達しないままに使われる気がする。

あと個人的にちょっとショックだったのが、アドラー心理学も民間療法というかHSPと同じような扱いを受けたこと。
岸見一郎先生が西洋哲学の流れを汲んだ上での岸見アドラー学みたいなのを作っているイメージなので。
いわゆるエビデンス重視で科学的な根拠っていう部分については確かに弱いのかもしれないなという気がした。
結局、心の持ちようの部分が強いので、
西洋哲学、古代のギリシア哲学とかは、人数をかけての検証というよりかは
その人自身の思想とか考え方に終始した部分があると思う。
こういう科学的な根拠という点だと確かにないというのは事実なのだと気付かされた。
個人に偏り過ぎは良くないとは思う。
エビデンス重視のものがいいかっていうと、そういうわけでもないかなっていうのが個人的には思っている。

HSPという言葉に対して漫然と抱いていた嫌悪感まではいかないけれど
触らないでおこうみたいな気持ちが、
確かに正しいかどうかは置いておいて、無理に近づかなくていい分野の話なんだろうなというのを学ばせてくれた一冊だった。

最初はどうかなと思っていたが、普通に面白かった。
2つ取り入れたい。

①起床後3分読書

②指読書

ほかにも参考になったことはそのうち書くかも。

AI画像生成

AI画像生成について。
商業利用としてや著作権の問題など解決すべき点はあるのかもしれないが、
個人的には非常に助かるツールとして使えていると思う。
結局のところ、絵を描く練習やイラストの勉強などをする時間がない。
もしくは今までにやってこなかった人間が、自分自身の考えや頭の中に浮かんだプロダクトやイメージ図をアウトプットするときに
無理やり言葉で表現したり、ポンチ絵みたいなもので書いたりするしか今までは手段がなかった。
もちろん100%考えたことをアウトプットする、表現するというのはできないだろうが、
イメージしたやつに近しい絵をうまいこと出力するのには使えるのかなと感じている。

最初は使い道として2つあると感じていた。
一つは今言った通り、自分の頭の中をイメージとしてアウトプットするために画像生成をするパターン。
もう一つは生成された画像に対して、即興でストーリーを付け出すトレーニングとしての活用である。
今のところ哲学者そのものをイメージの絵としてアウトプットすることに終始してしまっている。
イメージとしてはnoteの方のアウトプットは後者の生成された絵に対して何らかのストーリーを即興で自分自身が作るトレーニングをしていきたい。
単純な絵としてはブログの方のAI画像の中で使っていきたい。
あまり無理をせずに。ゆっくりと時間をかけながら、自分なりの使い方を模索していこうと思う。

戯れ言

万年毛筆について
先週から呉竹の万年毛筆を購入した。
万年毛筆とは?
筆先が先端についた万年筆みたいなもの。
インクはコンバーターに入れる。
ペン先が万年筆のようなニブではなくて毛先になっている。
いいところ
小学校以来で筆を触ってみれた。
筆の止めはね払いが簡単にできる。
文字の味みたいな筆でしか表現できない文字が書ける。
例えばパイロットのカスタムヘリテイジフォルカンでもこれだけの線の幅太さの違いはできないと思う。
本物の筆と違ってキャップを外すだけで筆で書く楽しみを味わえる。
片付け準備の必要がない。
手が汚れる心配も少ない。
インクは万年筆のインクを使える。
書いた直後はキラキラ光り、少し経てば乾いていて手にくっつく心配もほとんどない。(もちろんインク次第)
得意じゃないところ
筆なので、細かい字を書くのには適していない。てかすごく難しい。
また日常使いは厳しいかな。
机に座ってゆっくりと文字を書くのに、じっくり文字と向き合うのに適した道具だと思う。

おすすめの使い方
色々と字を書いてみて楽しむ。
手帳とかに書くというよりかはA4サイズ以上のノートやスケッチブックに書くのが楽しい。
ジャーナリングより速さ重視ではなく、純粋に字をしたためることそのものを楽しむのに向いている気がする。
あと、子供が生まれる時とかに命名**みたいな感じに書くことのに使える。
手は汚れないし、墨や筆を準備する必要もない。
このペンのみでできるので非常にリーズナブル。

自分の書き方の問題だと思うが、縦線が太くなってしまう。
カリグラフィー的な使い方っていうのはなかなか難しいかな。

 

新たな試みとして家事をしながら音声入力をしてみる。
Googlepodsがありがたいことに音楽を聴きながら音声入力ができるのだ。
というわけで今日は土曜日だけれども音楽を聴きながら、そして、家事をしながら音声でのアウトプットをしてみます。
もともと自分は何か一つに没頭するというのが得意じゃない。
というのも、いろんなことに目移りがしてしまうし。耳のインプット情報が別の脳部分にストレージされるのか?
結構仕事場でも報告書を書きながら他の人たちの話に耳をそばだててしまう癖がある。
多分いい面も悪い面もあると思う。
個人的には今後の社会で必要なスキルではないかなと思ってはいるのだが。
一つのことに集中するのを細かく切り替える能力の方がいいのだろうが、
自分の場合は耳で聞くことと体だったり、手を動かすことを別にするような癖がついている。

2日ほど朝活ができなかった。
家族が風邪をひいてしまった。
その状態で無理をしてもあまりいいことはない。
というわけでどちらかというと1回途切れた習慣をどれだけ早く修復できるか、そちらに注力した方がいい。
過去はどうしても変えられないので、
これからできること、今自分ができることを集中して行なっていこうと思う。