浮遊する城というと何を思い浮かべるでしょうか?
一番有名というか、最初に浮かべそうなのは『天空の城ラピュタ』でしょうか。
ラピュタの元ネタはバベルの塔の絵ってなんか聞いたことがあります。
あのデュランがいる城です。
以外に高度が低いのか山を越えられないのはご愛敬。
最近聴いている異世界のんびり農家での浮遊する城は出てきます。
太陽城ですが、相変わらずいっぱつで……
上からの攻撃という点では優位ですが、
兵糧の補給という点ではかなり絶望的なのでは?
屋根うら部屋の窓のふち。
そこがわたしの特等席。
おだやかな陽光のなか、
文字に目をはしらせる。
窓からの風が、
かみをゆらす。
祖父が残した本たちを、
わずかわずかにこの世にとどめる。
少し暑いな……
炎天下の中、何度もトリックを繰り返してたら当たり前か。
ええっと、今は…げぇっ。
もうこんな時間か。
早くいかないと姉さんにどやされる。
絵画、芸術、それどころかすべての事象においての偶発性について考えてみよう。
よくある言葉はサルがキーボードをたたいて、シェイクスピアの戯曲を作ることができるかだ。
無限に繰り返せば発生しうる事象なのだろうか?
何となく思い出されるのは、ボスベイビーで赤ちゃんに適当にキーボードを打たせて、
使えるプログラムを抽出する話。
これもサルとシェイクスピアと同じじゃないだろうか。
これを世界レベルに引き上げたのがニーチェだ。
原子論と無限を突き詰めた結果、永劫回帰という思想を彼は生み出した。
ざっくりいうと、今この瞬間(原子やクオーツの並び順)が無限の時間の中では
再度起こりうるという考え方だ。
つまり、無限の中ではわれわれはヘブンズドアを味わっていることになる。
同じように無限の恐ろしさを説いた作品として田中空先生の『タテの国』がある。
あれも無限の怖さがよくにじみ出ていた。
とりあえずこんな感じで。
今日は光の夜。
月の変動で蛍光石の鉱脈が露出。
そこに反射された光を浴びると、
夜の世界が満たされる。
サニディンは腰を下ろす。
ゆっくりと回りを見渡す。
静かだ
光に包まれた夜は獣たちにとっては脅威である。
闇に紛れ、景色に溶け込み、見つからないようにと
生きる者たちにとって
白日の下にされされるのは脅威だ。
生き物たちは、さらにさらにと隠れている。
ゆっくりと呼吸をする。
この空間に自分が溶け込むように。
世界と自分の境界をあいまいにしていく。