がんばらないけどあきらめない

挑戦して失敗して、成長することを目指すブログです。

通勤時間ってなくせなくせ言うけどこうなんじゃない/リスケの罪悪感のリスク

 

今日の思いつき

通勤時間について

「通勤時間が無駄だから排除するほうがいい」と言う主張をよく聞く
自分が考えるに・・・
通勤時間を「移動時間」としてのみ考える場合は
通勤時間は減らしたほうがいい
一方で
自分の場合は
「本を読む」「SNS を見る、発信する」
インプット/アウトプットを行う時間になっている
また
「電車で立っていること」は健康促進にもつながる
「駅まで歩くこと」が気分転換になる
非常に言いづらいことだが・・・
「家庭と切り離された時間」として見ることもできる
「仕事」と「家庭」、この二つで2分割する
⇒通勤時間は二色のグラディエーションみたいな形になる
∴中途半端な時間(「惰性の時間」)が生じる
自分がロードバイクで通勤していた時に感じた事
少し漕ぎ出しただけで「仕事の時間」から「趣味の時間」(「自分の時間」)に切り替える事ができた
「仕事の時間」でも「家庭の時間」でもない「自分自身のためだけの時間」にあてがうことができていた

引っ越しでロードバイク通勤から電車通勤に変わった今

「自分の時間」から「勉強の時間」にシフトしようとしている
実際は「自分の時間」と「勉強の時間と惰性の時間の三つが入り混じっているので明確に切り分けることを目標とする
「タスクを明確に切り分ける」って重要
どれか一個(例えば勉強)だけをひたすら行うのはしんどい
区切りをはっきりさせることにフォーカスした方がいい
横道にそれましたが
在宅勤務について考えてみる
在宅勤務が始まってから色んな所で問題になっているが
どうしても仕事と家庭の切り分けがしづらい

自分一人でも時間の切り分けというのは難しい
家族という要素を含んだ状態で時間を切り分けるのは非常に難しい

家の中にテレワーク用の部屋
デスクを準備する
⇒環境によって切り分けを行う
環境やものによる切り分けは家の広さや経済状況によって切り分けができる人とできない人がいるが、
自分自身の精神を用いたきりわけはエピクテトスで言うところの自分の権内である

まとめ

通勤時間をただ単に良くないものとして排除するのではなく、
いかに自分次第で切り分けに注力するかが大切だと感じた次第である

潜在的なリスケジュールリングに対する罪悪感の考察

昨日、職場でこんな場面があった。
A「明日予定してた試験ですが、都合がつかなくなりそうなので月曜日にリスケします。」
B「ちょうど良かった自分も別の業務が立て込んでいて明日手が回らなさそうだったのです。」
この時、着眼点としては
もし予定通り試験が行われていた場合は手が回らないタスクがAの知らぬ間に発生していたということ

理想的には

事前に業務都合がつかない旨を打ち上げてもらう
⇒優先順位を検討する
重要度×緊急度
⇒対策
リスケする
別の人に手伝ってもらう
二人必要な業務にのみポイント的に参加する
このように対策が必要だと「判明しているとき」は様々な方法が考えられる
一方知らない場合
試験前に
「今日いきなりできないのです」
「試験があったせいでこっちのタスクができなかった」
という事態に陥る可能性がいある
今回は優先度が低いタスクだったため問題なかった

仮説

優先度が高いタスク同士がブッキングした場合
⇒組織で対応する必要が出てくる
背景にあるのは
「一度立てた予定を変えることはよくない」という潜在意識

 

技術者冥利に尽きる

友人が自社の製品の相談及び購入をしてくれた。
⇒これは技術者としてかなり嬉しいことである
∵自分が開発に携わった製品が友人と彼の視界に入って実際に使ってもらえるから

 #今日の積み上げ

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